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福岡県北九州市の心療内科・精神科/うつ病/カウンセリング/ストレス/治療/PTSD/睡眠時無呼吸症候群

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院長日記

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精神科の診断とは?

外来をやっていると、患者さんからよく受ける質問があって、その一つに病名に関するものがある。

 

同じ精神科医が見ているのに、どうして診断が違うのか。とか自分の病気(障害)にはいくつもの病名がつくのは何故なのかという質問はしばしばである。

 

私が研修医だった頃には、現在使われているようなICD分類などはなく、医師の様々な症状をもとに医師がその病気の全体像を「直感的」に見とって診断を行うことが通常だった。

 

今やそのような診断法は全く受け入れられない。

そのような診断法は「主観的、かつ曖昧」である。

臨床的に、科学的に共有されうる操作的診断法が主流となった。

今や、患者さんの内的な葛藤などに考慮を払いつつ診断するようなやり方は過去の遺物のようなものなのだ。

 

徹底してその外面的な症状に目を向けて診断を進めること。

このやり方を推し進めると必然的に診断名は多くならざるを得ない。

 

例えば、様々に不幸な幼少期を経て成人した人がうつ状態で外来を受診したとしよう。

 

そのような人の多くが、情緒的に安定せず、人とのコミュニケーションにうまくいかなさを感じているのであるが、ここまででも「気分変調性障害」「不安障害」「適応障害」「摂食障害」、診断者によっては「境界例パーソナリティ」「双極性障害」「広汎性発達障害疑い」の診断をつけるかもしれない。さらに落ち込み気分がひどくなり生活、仕事に支障を有するようになれば「大うつ病性障害」がつけ加わるだろう。

 

このような状況は、精神科医の中でも理解できる人とそうでない人がいるくらいであるから、ましてやその事情がわからない患者さんに理解していただくのはほとんど不可能に近いのである。

 

どういうように説明をすることが、患者さんに理解してもらう一番良い方法だろうか。

 

最近読んでいる本の中で下記のような記述を見つけた。

 

あなたは動物園に来ていて、ある囲いの中にいる一頭の象の尻尾の側を見ている。一方で、囲いの反対側にも別の来園者がいて、その来園者はその象の顔の側を見ている。この時あなたたち二人は同じ一頭の象を見ている、ということは確かに正しい。しかし同時に、あなたたち二人は単に同じ象の異なる部分を見ているに過ぎない、ということにも私たちは同意するだろう。・・・「全く同じものを見ている」という語り方は、「全く同じものの異なる部分を見ている」ということを意味しているのだ。・・・「同じ」や「全く同じ」といった言い回しが緩やかで通俗的な意味で用いられるときはいつも、私たちは、同一の事物〜厳密な意味で同一の物事〜の異なる部分を指すために「同じ」という語を使っているのだ、と。
   D.M.アームストロング 現代普遍論争入門 

 

精神科を受診される患者さんの「困りごとの本体」というものがあるとすれば、それは現在の人間関係、社会状況、幼少期・思春期に作り上げられてきた反応のパターン(性格)、現在に強く影響を及ぼすに至った生育上のイベント(時にトラウマ体験)などなどが渾然一体となって形成された複合体である。

それが症状に現れたものこそが診断名となるのであるが、どの側面を見るかによって診断名が全く変化することもありうる。ただ、精神科医同士であればそれが同じものをみているということは理解しているはずである。

 

多くの精神科医は診断の奥に隠れた本体を把握し、その症状ではなく複合体全体をどう変化させていけばいいのだろうかと、考えながら日々の診療を行っていると思う。

 

このことを患者さんに説明して行くことはとても難しい作業である。

2018-05-24 13:49:03

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臆病者

近所のスーパーに買い物に出て、込み合ったレジであまりよく話したことのない近所のご主人と偶然一緒になってしまうという、悪夢のようなシチュエーションがいやだ。

 

「.....こんにちは」

わお「あっ!ああ.....こんにちは」

「.....混んでますよね」

「そおですねぇ.....お買い物ですか?」

 

あっ!しまった!ワイは何を言っているんだ!

スーパーでレジに並んでいたら当然買い物だろうが!

バカなことを言ってしまったせいで、よけい頭の中が真っ白になる。

 

「はい.....ちょっとですね.....」

「そおですかぁ.....」

 

妙な沈黙が流れる。

うう.....苦しい状況である。まだ、レジに到達する気配はない。

このかた何の仕事をされてるんだったっけ?.....思い出せん!

最近町内会の気にになる話題はないか?.....わからん!

 

何か買い忘れたという風情で列を抜けるか?

だめや、いかにもざーとらしいではないか。まるで逃げ出したのがバレバレだ。

第一、なぜ逃げないといけない?

 

作り笑いしながら全身が熱くなって、ひたいに汗が出てくる。

 

何かこの場をやり過ごすうまい方法はないか。

 

そや!スマホや!

それや!

 

「おっと.....」

 

と、言いつつ、さも今着信があったかのようにスマホをポケットから引き出す。

ううむ.....と難しい顔をしながら素早く177の天気予報をおす。

 

「.....福岡地方の天気は明日は晴れ、北西の風風力3です.....」

「.....ああ、俺だけど、買い物はさっき言った通りでよかったかな.....」

 

などと、さも会話をしているようにスマホを耳に押し当てる。

もうすぐ、レジや。

この調子でいくんや。

 

「.....そうねえ、足りない奴はまた後でねえ、レジが混んでてさ.....」

「.....急な天気の移り変わりに注意をしましょう.....」

 

次の方、どうぞ。

おっ!ワイの番や!

レジにカゴを慌てて置きながら、スマホを尻のポケットに突っ込もうとした時に、指がスピーカーに当たってしまう。

でかい声が、ワイの尻から漏れてくる。

 

「北九州も今日は1日秋晴れのいい天気でしょう!!」

 

∩(;; ;°;ਊ°;)∩  ∩(;; ;°;ਊ°;)∩

 

車にたどり着き、激しい動悸と汗にまみれつつ家路につく。

普段がこんな調子。

 

ああ、なんてワイは間抜けなんだ、アホや。

その後数時間は動揺が続く。

 

このようにワイらの人種は、ささいな日常生活の中でもハードな緊張のにさらされている。片時も家を出ると気を緩めることは許されないのである。

 

慎重に決められた、人通りの少ない犬の散歩コース。

プレーヤーに接続してもいない音楽用イヤホン。

普段はかけないごっついメガネ。

 

(短足とヒゲはごまかしようがない)

 

ささいな失敗が、眠る前に頭の中を何度もめぐる。

 

果たしてこのような失敗を防ぐにはどのような対策を講じるべきであるか?

 

対策1

今度買い物に行く時は事前に駐車場と店内を捜索して、近所の知り合いが全くいないことを念入りに確認する。

 

対策2

誰も来そうもない時間帯を選び、見落としのないようにまとめ買いをする 云々

 

うむ、これで行こう!

 

こうしてワイはようやく安らかな眠りにつくのであった。

 

.....(なんという無駄なエネルギーだ)






 

2017-10-09 12:22:32

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13の理由

ネット映像配信サービスのNetflixが独自制作したドラマシリーズで現在配信中である。


テーマはずばり「いじめ」
 

制作総指揮にポップシンガーとして有名なセレーナ・ゴメスが加わっている。

難病のループスエリテマトーデスを患っており、歌手活動も不規則に停止せざるを得ないということから、ネット上でもあれこれデマを流されて悩んだ時期も長かったようである。

その彼女だからこのようなテーマに敏感だったのかもしれない。

 

ストーリーは次のようなものだ。

 

高校2年生のクレイ・ジェンセンの元にある日、荷物が届く。

それは、自殺した友人、ハンナ・ベイカーからのものだった。

 

小包には7本のカセットテープが入っており、そこに吹き込まれたハンナの告白の内容は、自分が死に至った13の理由(13人の人々との関わり)であった。

 

激しく動揺するクレイ。

なぜなら彼は密かにハンナに惹かれていたが、それをはっきり打ち明けることができなかった。

そして、ある出来事がもしかしたら彼女を傷つけたのではないかと考えていたからだ・・・

 

しかもそのテープは、テープの中に登場している同級生たちの間ですでに回覧されており、クレイだけが一番最後であるという・・・

 

物語はクレイの視点を中心としながら進んでいく。

 

まるでビリヤード台に散らばったたくさんのボールたちの予測不能な動きのようである。ささいなボールの動きが次のボールに動きを与え、連鎖反応のように次第に複雑に加速しながら息詰まるような緊張を孕んでエンディングに突き進んでいく。

 

テープの登場人物は、

 

クレイ(優秀な生徒であるが、女子には奥手でハンナとはお互い惹かれあっているのだが言い出すことができない。後に、彼はそのことを後悔することになる)

 

ジャステイン(バスケットボールのエースプレイヤーだが、家庭は貧困で母親からのネグレクトと、ヒモ男からの暴力で悩んでいる)

 

コートニー(優等生だが、自分がレズビアンであるということを密かに隠している)

 

アレックス(ハンナと同じく転校生であり、孤独を感じている。家庭では権威主義的な父親と兄の下で自分の存在感に悩んでいる)

 

などなど。

 

ハンナを遠ざけていく同級生達もそれぞれに思春期特有の悩みを抱えている。

人の助けを求めていながらも、それが素直にできない苦しみを共有している。

 

そして、その絶望的な苦しさゆえに結果的に人を傷つけてしまう。

 

この物語では、結局ハンナは破局的な結末を迎えてしまうのであるが、ハンナ一人がいじめの被害者ではない。

加害者も同時に被害者であるということを納得させられてしまうストーリー構成となっている。

  
障害者差別と当事者問題の研究でたくさんの発信をしている小児科医の熊谷晋一郎さんは、「自立とは依存できることである」と述べている。
 

思春期とは自立の時期であるとよく言われる。

何事も今後社会に出ていく準備として、自分の力で解決して、頑張ることが必要であると。

(逆を言えばそれができない人間は社会に出る資格がない、未熟であると決めつけられる)

 

しかし、思春期に出来する悩みは一人で抱え込むにはあまりにも大きくて、重い。

多くの人はそれとなんとか折り合いをつけてやっているように見えるが、それはひとまず問題を棚上げにしていることも多い。

 

棚上げにできないときに、自殺を含めた様々な問題行動をとるのだ。「症候」と呼んでもいい。

 

結局この作品のハンナはその機会はたくさんありながら、誰にも相談ができないままに死んでいった。

彼女の「声」に向き合う人に巡り合えなかったという不幸もある。

でも、もっと「依存」するべきだったのだ。

 

依存は悪いことではない。依存は助けを求めることであるからだ。

 

これは障害者、思春期の人に関わらず、社会人として生活している人にも言えることである。

もっと助けてもらってもいいのだ。







 

2017-10-09 10:19:01

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「中動態の世界」國分功一郎

今年読んだ中では特に素晴らしいと感じた本でした。

臨床に向き合っているものとしては、深く考えさせられる記述が多くありました。

 

自分として最も興味深かったのは。展開される自由意志に関する部分でした。自由意志の議論としては哲学史上ではスピノザが有名ですが、哲学者の國分さんはアリストテレスからハンナ・アレントの議論からハイデガーの意思論を俯瞰し、スピノザの意思に関する考え方へと考察を進めていきます。西洋の哲学のあり方を決定づけることになった能動態、受動態という文法。そして現在では忘れ去られていた中動態と関連を解き明かしていくのです。

 

意思という言葉は実は臨床ではよく耳にすることが多いのです。

「こんな状態になったのは、自分の意思が弱い」 

「自分の意思で酒はいつでも止めることができる」

 

とかですね。

 

意思は常に自分から発して、自身の行動の原理と考えられています。

しかし、本当に意思などというものが存在するのか。

 

「意思」も「責任」もその起源は能動対受動という近代的人間の思考を決定づける文法構造によって作り出された一つの効果にしか過ぎないのではないかという主張にはかなりの衝撃を受けました。

 

それでは「主体」や「自意識」も当然単なる効果であろうと考えられます(國分さんの主張は流行りになったポスト構造主義の主張とは全く違っているのですが)。

 

この考え方を踏まえれば、精神医学の治療は単に精神的に病んだ主体を「治療する(される)」などという単純なものではなく、医師としての私が患者さんと出会うことによっていかなる変化をお互いにもたらすのかということにまで想像は発展していきます。

 

次回の著書が大変楽しみな方です。


 

2017-10-01 16:44:43

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夏

夏

2017-08-30 19:10:00

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ばか

今年も健康診断の季節がやってきた。

 

昨年までなんとか無事にやり過ごしてきた。今回も頑張るぞ。

 

胃カメラ前日、少しばかり緊張していたのかなかなか眠れない。

う〜ん、眠れん。

悪魔が囁く。

少しばかり酒でも飲んだら寝つきが良くなるんじゃないかい。

(注:寝る前のアルコールは絶対に控えるべきです。普通はね)

 

ついついスコッチのボトルで少量、とおもいつつグラスに注ぐ。そして、よせばいいのに手元にあった本を読み始めてしまった(デューン 砂の惑星 新訳版というやつだ)

お、これは面白い・・・飲みながら思わず時間を忘れて・・・

 

( ತಎತ) ( ತಎತ) ( ತಎತ) ( ತಎತ) ( ತಎತ) ( ತಎತ) ( ತಎತ) ( ತಎತ) ( ತಎತ)

 

翌朝は、早朝8時に受診。

う、なんとなく飲みすぎたか・・・まあ、黙っとればわかるまい・・・

 

内視鏡担当の先生は、マスクの目元の美しい、物腰やわらかな女医先生でした。

 

「さあ、リラックスしてくださいね」

などとおっしゃりながら、内視鏡開始。

 

うぐぐ、と喉の苦しさを我慢して内視鏡が降りていく感触。

「お上手ですよ、その調子で」

 

しばらくシャッターを切る音。

「あら、これは・・・」

と、急に怪訝な声。

「・・・あの、重富さん。出血してるんですけど・・・ほら、ここです」

 

ンゴ?

引き寄せられたモニター画面には、輝く胃壁からじくじくと滲み出す二筋の血。

「・・・一応、生検をしておいて、それから申し訳ないですけど他の部分も少し念入りに見てみますね」

 

胃カメラがグリグリと胃の中で回転する感触。

 

ンゴゴ。くるチイ。

 

素敵な女医先生にカメラを突っ込まれて、悶えるおっさんというこれ以上はないM的な構図。

 

∩(;; ;°;ਊ°;)∩ ∩(;; ;°;ਊ°;)∩ ∩(;; ;°;ਊ°;)∩ ∩(;; ;°;ਊ°;)∩ ∩(;; ;°;ਊ°;)∩ ∩(;; ;°;ਊ°;)∩

 

結果は、出血性胃炎。生検は問題なしということでした。

 

良い子のみなさんは、決して真似をしないように(そんな奴いねえよ。お前だけだ)

くれぐれも胃カメラの前日は飲み食いしないようにしてくださいね。

 

 


 

2017-07-02 17:29:49

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くいしんぼう

ポッキーは腹が弱い。

餌を少しでも変えると途端に腹をこわす。

そこで、彼の食事はこの8年間変わらず、「ヒルズのサイエンスダイエット 肥満気味の成犬用」というやつだ。

 

しかしさすがに飽きてきたのか。以前は入れてやると飛びついて食っていたのが最近は入れてもしばらく置きっぱなしである。

 

妻が心配する。またお腹の具合が良くないのかしら。

ためしに犬用のふりかけなんぞを買ってきてかけてやると喜んで食べる。

 

なんだ、やっぱり飽きてきたのか。

 

そのうちだんだん、ぜいたくになってゆく。

最初はふりかけ。

 

そのうちにこっちが飯を食っていると、催促するようにうるさく吠える。

甘々の妻が、少しだけだよ、なんぞと言いながら白飯だのりんごだのぶどうだの食わせるもんだから、催促がよけいエスカレートしてきた。

 

こっちの飯時になると吠える。

りんごを切る「シャコッ」とか、わずかな音も聞き逃さない。

耳がピーン、ケージの中をぐるぐる回って、吠えまくる。

 

じじいめ。

足腰弱っても、

食い意地だけはすごいな。


 

2017-07-02 16:50:20

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おめでとう。BoB!

ノーベル賞受賞、おめでとう。ボブ・ディラン。

学生時代からずっと聴き続けてきたファンとしては感動的ですね。
(個人的にはビートルズよりもディランでした)

米のメディアは賛否両論真っ二つのようですが(NYタイムズはかなり批判的な記事を掲載している)、
常に批判を受け続けることこそ、彼らしい。
実際、彼自身はこのお祭り騒ぎにも距離を置いた姿勢を取り続けているようです。

今後一層の活躍を期待しています!

2016-10-14 21:13:48

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へたれPOKKEY

・・・ああ、年寄りにはこの暑さはこたえる・・・

・・・ああ、年寄りにはこの暑さはこたえる・・・

2016-08-08 08:21:00

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やっぱりひきこもって生きたい

やっぱりひきこもって生きたい

 

熊本地震について先日書いたコラムで、私は「他人を当てにしない」とのべました。

やっぱり、そのことについて他人の助力を当てにすることは悪いことではないのではないかというような意見をいただいきました。

 

もちろんそのとおりで、被災地で家を失った上に避難所すら入れない状況は社会が支援しなければいけません。

 

「他人を当てにしない」といういいかたは別の表現で言えば、被災者だろうが社会的弱者だろうが避難所に求められる社会的ルールが守れないような発達障害者はこのコミュニテイに入ることを認めない、野たれて死ねと言わんばかりの、この社会の有り様に絶句したというとです。

 

社会の側から言えば、みんな大変なんだ、甘えんな、ということなのでしょう。

 

(表面的には障害者や社会的弱者の支援が大事だという言説が横行しながら、災害や金欠状況では、みんな大変なんだから、足手まといだ、お前ら消えろ、ということになる。

相模原の事件はそのような社会の潜在的差別感情が露骨に表面化した問題のような気がする)

 

「甘える」ことと「支援を求める」ことは違います。

 

「コミュニケーション能力が乏しい」人は、人に頼ることを極端に嫌います。
発達障害が明確な人から、人間関係が不器用なのだが社会生活はなんとか頑張っているという人まで含めて、人に頼ることは極端に苦手だという思いは共通していると思います。

それは、甘えていると思われることへの不安でもあり、恐怖でもあります。そのせいで必要な人間関係や、支援を受けることを拒んでしまうこともあります。

 

それがわからない人間には、表面は親しげなのに妙によそよそしい、いつまでたっても関係が深まらないような印象を与えてしまいます。何を考えているのかわからないと評されることもあります。

 

そのように人を避けて、こもりがちになっている人にコミュ力を高める努力をしろ、対人恐怖症を治せ、障害ならそれを修理して戻ってこい、という人たちがいますが、事態がさっぱりわかっていないようです。

 

人と交わることは、自分に負担になると同時に相手にも負担を強いることになります。相手に借りを作るのが「人間関係」というものの本質です。

 

借りを作れば、当然いつかは借りを返せ(我々の納得できるような社会的責任を果たせ)と言われることになります。

 

でも、どうしたらそれが十分な借りの返済(社会のメンバーとして当たり前のコミュニケーションを行った)とみなされるのでしょう?

 

誰がそれを十分であると判定するのでしょうか?

 

毎日毎日、そんな不安を背負って、どうやって生きていけばいいのでしょうか。

 

私には「普通に」人付き合いをしている人たち、出会って間もなく「友人同士」というものになってしまっている人たちが全く理解できません。

 

「友人」というのはどう定義すればいいのでしょうか。

どこまでが借りになってしまうのか全くわからない、境界線不明の人間関係です。

 

顔見知り、仕事仲間。彼らとならば、一定時間の付き合いで、その日の夜には解放されて自分一人の安心できる空間に戻れます。

 

しかし、「友人」とは?

いつ連絡をしてくるのかわからない人々。どこまで踏み込んでくるのか全く不明の人々。

 

一度関係を作るとどこまで相手の言うことを聞いて、どこまで自分を主張すればいいのかわからない人々。


借りはどのくらいになるのだろう?
どのくらいの見返りを要求されるのだろう?
 

考えただけで混乱します。

おそろしく面倒極まりない。

 

以下はちょっとした笑い話でです。

 

◯SKという製薬会社から講演会の講師として招かれたことがあった。

終了後、会食の後、ぜひ先生の知っている店で飲みたいと頼まれた。

(こっちもあまり詳しくはないが)近くの飲み屋に一緒に行った。

喫煙可の店なので店の中は煙もうもうである。

トイレに立った時に一緒に来た営業マンの陰口が聞こえた。

「こんなところで肺癌になりたくないもんな・・・」

 

このエピソードで腹が立ったというわけでは特にありません。

営業なんて、結局ものを売るのが目的なのでありますから、腹の中で舌を出そうが、ケツを出そうが別になんとも思いません。つねづね人とはそんなものだと思っているので。

 

しかし、まあこちらとしては

「接待を受けてちやほやされて、いいご機嫌で馴染みの店に営業マンを紹介する開業医」の役割を、いささかうんざりしながら引き受けていたわけです。

面倒にも自分の時間を削って。特に飲みに行きたい相手でもないにも関わらず。

 

ではなぜ、断らなかったのか?

 

もちろん空気を読んだからですよ。

 

それが、自分にその時点で要請されている役割。

小学校にも中学校にも高校にも、その後の社会生活すべてにつきまとう役割要請(同調圧力?)がここでも働き、うかつにもそれを引き受けた自分にそれなりのむくいがかえってきたというわけですね。


空気を読みすぎて、演ずる役割を「商売上の付き合い」から「友人仲間(?)」と誤ってしまい、
後になって、手酷く苦い思いをさせられるというわけです。

あとになって襲ってくる自己嫌悪感のいやらしさ。

つまり、リップサービスをしたにすぎないこの営業の男にしてみれば、それをマジで受け取った私からタバコの紫煙もうもうの飲み屋に連れて行かれるという負担を背負わされたわけです。

もちろん責任はすべて私にあります。

そして、私は後ほど、この男からの陰口により手痛い自己嫌悪の感情を喚起され、それに耐えなければならないという見返りを受け取ったわけです。

空気がうまく読めなかったコミュ障のアホにはそれなりの見返りが待っているということです。


理解できますか?この感覚。


この世界は社会を舞台にしたお芝居にすぎません。

 

いかに適切に自分の役割を演じられるかが、社会の中では貴重とされるのです。

 

私のような人間は、その役割を演じるのに必死です。

 

「熱い友情」とか「無償の愛」とか「会社への帰属意識」とか健常な人々には理解可能であるにも関わらず、私にとって不可解な言語に囲まれた世界では、役割を演じつつ生き残るのは並大抵ではありません。

 

消費するエネルギーは莫大です。

 

にこやかに笑いながら家にたどり着くと、表情も消え失せてぐったりと椅子に座り込みます。夜は何もする気力も湧いてこないこともしばしばです。

 

(これは、仕事上の面接とは関係ありません。精神科の仕事の上での医師患者関係は構造化されていますから。構造化に関しては別の機会に詳しく話したいと思います)

 

誤解されたくはありませんが、私はごく自然体でこの世の中を生きている人たちを上から目線で批判したいわけではありません。

 

「コミュ障」と言われる私の家族、そしておそらく多くのストレス疾患や、精神疾患を患っている人々。発達障害者の視点からこの社会の中で感じているであろうことを素直に述べてみただけです。

 

「甘え」なんてとんでもない。日々、他人に負担をかけないように細心の注意を払い続けるだけで精一杯なのに。

 

保健室に駆け込んで教室に上がれない生徒も、朝、身体が動かなくなって会社に出ることができなくなった会社員も、被災地でパニックを起こす発達障害の子供や成人も、みんな普段は甘えているわけではありません。

だれかに負担をかけないように、迷惑をかけないように必死にアンテナを張り巡らせて生きています。
ひとたびバランスを崩せば、その負債は莫大なものとなって帰ってくるかもしれないわけですから。


それでも自分でどうしようもなくなった時、そのときこそ支援が必要になるのです。 

 





 

2016-08-07 07:24:59

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