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福岡県北九州市の心療内科・精神科/うつ病/カウンセリング/ストレス/治療/PTSD/睡眠時無呼吸症候群

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院長日記

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精神科医は偽善者?

先日、若い患者さんから次のような質問がありました。

「精神科でやる会話とか、カウンセリングって、マニュアルもたくさんありますよね。

ペーシングとか傾聴とか・・・ほめたりすることも、技術の一つと書いてあったりもしますよね。

お客さん相手だから、当然悪いことを言うはずないし・・・

でも、つまりそれって患者さんにただ合わせているだけのことじゃないんですか?」

う〜ん

これを最初に聞いたとき、ただただよく勉強しておられるなーと感心しました。

それと同時に、実は結構たくさんの方がそういう疑問を持っているのでは・・・と思ったりもしました。


これに関しては、敬愛している心理療法士の村瀬嘉代子さんが次のように書いています。
 

「治療過程の途上、治療者は共感と観察という二つの矛盾した態度を同時にとること、換言すれば、自分の半身をあいてと感情を道具にしながら交流させ、他の半分は醒めた状態でこの交流の諸相を捉えていなければならない」 村瀬嘉代子 心理療法と支持 「心理療法における支持」

おそらく、共感は患者さんから得られた情報から、目の前の患者さんがどのような環境で育ち、どのような性格、考え方、感じ方を身につけ、今どのような環境にあって、どのような悩みを抱えているかということをできるだけ想像してみるということだろうと思います。

そうして、自分の場合はこの困難さを乗り越えるためにはたしてきた努力には正直に賞賛するとともに、その労苦に対しては素直にねぎらいの言葉がでてきます。そこに嘘はありません。

これは特に臨床家だからそうだということではなく、一心に相手の話に耳を傾ければ自然とそうなってくるものではないかと思います。

その一方で、この患者さんを前にして、自分の中にどのような感情や言葉が湧き上がってくるかを冷静に見つめて、冷静に観察する別の視点が必要になってきます。

この視点がないと、治療の方向性も考えられなくなるし、助言も支援もできなくなるわけです。

共感が過ぎれば、単に情に流されるだけになってしまいます。

観察ばかりだと、冷たい技術屋ということになってしまうでしょう。

共感と観察、この二つの態度のバランスをとりながら患者さんと向き合えるかが治療者にとっては非常に大事なことだと思っています。

 

2018-12-02 21:41:26

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さよならポッキー

11月1日ポッキーが亡くなりました。

長い間、おつかれさまでした。

今はあまり書けません。ごめんなさい。

さよならポッキー

2018-11-06 07:31:20

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自立支援医療制度

通院患者さんのための「自立支援医療制度」という便利な制度があります。

これは、心療内科通院中の患者さんの診察代、薬代を3割負担から1割負担に減額できるようにするもので、状態が不安定で頻繁に通院が必要な患者さんや、他の病院でデイケアを利用する場合にも使えるので大変ありがたい制度です。

患者さんご本人から、この制度の利用についての相談があることも多いのですが、こちらから切り出していいのかどうか迷うこともあります。

一番多いのは、それを利用しないといけないほど通院が長くなるのかということ。なかなか治療経過が長くなる可能性があるとは言い難いので、ついご提案することを迷ってしまうこともあるのですが、実際、うつ病治療が1年、2年と続く方がいることは確かです。


デイケア、リワーク(復職支援プログラム)利用も数ヶ月以上かかることもあり、どの程度の治療期間が必要なのかを見極めて早期に、利用可能な良い制度があるならば、それを進めることも大事になってきます。
 

2点目としては、この制度を利用すると自分が「精神障害」と認定されてしまうような不安を感じるということ。

これに関しては心配はいりません。

精神障害ということが社会的に確定されてしまうなどということはありえませんし、この制度はあくまでも通院医療費の不担を減らすことを目的としているからです。

より良い医療制度の利用は、患者さんの権利でもありますから、病院としてもできるだけ患者さん適したご提案をしていきたいと思っています。



 

2018-11-06 07:23:26

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ポッキーの危機

今年の夏から、わが家のポッキーさんの調子が悪い。

食欲が極端に減って、みるみる体重が落ちてしまった。

今は、家内が抱っこして口に少しずつ餌をやらないと、自力で食べる力もなくなっているようだ。

ヨボヨボでガリガリ。介護老人のようになってしまった。

あ〜今年いっぱいもつのかな〜と心配している今日この頃です。

2018-10-29 07:27:35

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新患の方のインターネット受付

先日からホームページの会社のおすすめに従って、オンラインでの新患さん受付を開始してみました。

電話での受付がメインであったのですが、相談内容をお聞きする電話を折り返すのに、結構お待たせしてしまうということが問題だったからです。

オンラインならまず予約枠を押さえていただいてから、こちらから状況をお聞きすることができるので便利と考えたからです。

なんだか予約を入れてしまったら、絶対行かないといけなくなるのでプレッシャー・・・という声も耳にしますが、キャンセルは可能なので、あまり負担に感じないでいただけたら、と思います。

また、電話されるというのは結構不安を感じるともいわれますが、ちょっと相談してみようくらいの感覚でお話ししていただけたらと思います。

2018-10-29 07:19:09

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精神科の診断とは?

外来をやっていると、患者さんからよく受ける質問があって、その一つに病名に関するものがある。

 

同じ精神科医が見ているのに、どうして診断が違うのか。とか自分の病気(障害)にはいくつもの病名がつくのは何故なのかという質問はしばしばである。

 

私が研修医だった頃には、現在使われているようなICD分類などはなく、医師の様々な症状をもとに医師がその病気の全体像を「直感的」に見とって診断を行うことが通常だった。

 

今やそのような診断法は全く受け入れられない。

そのような診断法は「主観的、かつ曖昧」である。

臨床的に、科学的に共有されうる操作的診断法が主流となった。

今や、患者さんの内的な葛藤などに考慮を払いつつ診断するようなやり方は過去の遺物のようなものなのだ。

 

徹底してその外面的な症状に目を向けて診断を進めること。

このやり方を推し進めると必然的に診断名は多くならざるを得ない。

 

例えば、様々に不幸な幼少期を経て成人した人がうつ状態で外来を受診したとしよう。

 

そのような人の多くが、情緒的に安定せず、人とのコミュニケーションにうまくいかなさを感じているのであるが、ここまででも「気分変調性障害」「不安障害」「適応障害」「摂食障害」、診断者によっては「境界例パーソナリティ」「双極性障害」「広汎性発達障害疑い」の診断をつけるかもしれない。さらに落ち込み気分がひどくなり生活、仕事に支障を有するようになれば「大うつ病性障害」がつけ加わるだろう。

 

このような状況は、精神科医の中でも理解できる人とそうでない人がいるくらいであるから、ましてやその事情がわからない患者さんに理解していただくのはほとんど不可能に近いのである。

 

どういうように説明をすることが、患者さんに理解してもらう一番良い方法だろうか。

 

最近読んでいる本の中で下記のような記述を見つけた。

 

あなたは動物園に来ていて、ある囲いの中にいる一頭の象の尻尾の側を見ている。一方で、囲いの反対側にも別の来園者がいて、その来園者はその象の顔の側を見ている。この時あなたたち二人は同じ一頭の象を見ている、ということは確かに正しい。しかし同時に、あなたたち二人は単に同じ象の異なる部分を見ているに過ぎない、ということにも私たちは同意するだろう。・・・「全く同じものを見ている」という語り方は、「全く同じものの異なる部分を見ている」ということを意味しているのだ。・・・「同じ」や「全く同じ」といった言い回しが緩やかで通俗的な意味で用いられるときはいつも、私たちは、同一の事物〜厳密な意味で同一の物事〜の異なる部分を指すために「同じ」という語を使っているのだ、と。
   D.M.アームストロング 現代普遍論争入門 

 

精神科を受診される患者さんの「困りごとの本体」というものがあるとすれば、それは現在の人間関係、社会状況、幼少期・思春期に作り上げられてきた反応のパターン(性格)、現在に強く影響を及ぼすに至った生育上のイベント(時にトラウマ体験)などなどが渾然一体となって形成された複合体である。

それが症状に現れたものこそが診断名となるのであるが、どの側面を見るかによって診断名が全く変化することもありうる。ただ、精神科医同士であればそれが同じものをみているということは理解しているはずである。

 

多くの精神科医は診断の奥に隠れた本体を把握し、その症状ではなく複合体全体をどう変化させていけばいいのだろうかと、考えながら日々の診療を行っていると思う。

 

このことを患者さんに説明して行くことはとても難しい作業である。

2018-05-24 13:49:03

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臆病者

近所のスーパーに買い物に出て、込み合ったレジであまりよく話したことのない近所のご主人と偶然一緒になってしまうという、悪夢のようなシチュエーションがいやだ。

 

「.....こんにちは」

わお「あっ!ああ.....こんにちは」

「.....混んでますよね」

「そおですねぇ.....お買い物ですか?」

 

あっ!しまった!ワイは何を言っているんだ!

スーパーでレジに並んでいたら当然買い物だろうが!

バカなことを言ってしまったせいで、よけい頭の中が真っ白になる。

 

「はい.....ちょっとですね.....」

「そおですかぁ.....」

 

妙な沈黙が流れる。

うう.....苦しい状況である。まだ、レジに到達する気配はない。

このかた何の仕事をされてるんだったっけ?.....思い出せん!

最近町内会の気にになる話題はないか?.....わからん!

 

何か買い忘れたという風情で列を抜けるか?

だめや、いかにもざーとらしいではないか。まるで逃げ出したのがバレバレだ。

第一、なぜ逃げないといけない?

 

作り笑いしながら全身が熱くなって、ひたいに汗が出てくる。

 

何かこの場をやり過ごすうまい方法はないか。

 

そや!スマホや!

それや!

 

「おっと.....」

 

と、言いつつ、さも今着信があったかのようにスマホをポケットから引き出す。

ううむ.....と難しい顔をしながら素早く177の天気予報をおす。

 

「.....福岡地方の天気は明日は晴れ、北西の風風力3です.....」

「.....ああ、俺だけど、買い物はさっき言った通りでよかったかな.....」

 

などと、さも会話をしているようにスマホを耳に押し当てる。

もうすぐ、レジや。

この調子でいくんや。

 

「.....そうねえ、足りない奴はまた後でねえ、レジが混んでてさ.....」

「.....急な天気の移り変わりに注意をしましょう.....」

 

次の方、どうぞ。

おっ!ワイの番や!

レジにカゴを慌てて置きながら、スマホを尻のポケットに突っ込もうとした時に、指がスピーカーに当たってしまう。

でかい声が、ワイの尻から漏れてくる。

 

「北九州も今日は1日秋晴れのいい天気でしょう!!」

 

∩(;; ;°;ਊ°;)∩  ∩(;; ;°;ਊ°;)∩

 

車にたどり着き、激しい動悸と汗にまみれつつ家路につく。

普段がこんな調子。

 

ああ、なんてワイは間抜けなんだ、アホや。

その後数時間は動揺が続く。

 

このようにワイらの人種は、ささいな日常生活の中でもハードな緊張のにさらされている。片時も家を出ると気を緩めることは許されないのである。

 

慎重に決められた、人通りの少ない犬の散歩コース。

プレーヤーに接続してもいない音楽用イヤホン。

普段はかけないごっついメガネ。

 

(短足とヒゲはごまかしようがない)

 

ささいな失敗が、眠る前に頭の中を何度もめぐる。

 

果たしてこのような失敗を防ぐにはどのような対策を講じるべきであるか?

 

対策1

今度買い物に行く時は事前に駐車場と店内を捜索して、近所の知り合いが全くいないことを念入りに確認する。

 

対策2

誰も来そうもない時間帯を選び、見落としのないようにまとめ買いをする 云々

 

うむ、これで行こう!

 

こうしてワイはようやく安らかな眠りにつくのであった。

 

.....(なんという無駄なエネルギーだ)






 

2017-10-09 12:22:32

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13の理由

ネット映像配信サービスのNetflixが独自制作したドラマシリーズで現在配信中である。


テーマは「いじめ」
 

制作総指揮にポップシンガーとして有名なセレーナ・ゴメスが加わっている。

難病のループスエリテマトーデスを患っており、歌手活動も不規則に停止せざるを得ないということから、ネット上でもあれこれデマを流されて悩んだ時期も長かったようである。

その彼女だからこのようなテーマに敏感だったのかもしれない。

 

ストーリーは次のようなものだ。

 

高校2年生のクレイ・ジェンセンの元にある日、荷物が届く。

それは、自殺した友人、ハンナ・ベイカーからのものだった。

 

小包には7本のカセットテープが入っており、そこに吹き込まれたハンナの告白の内容は、自分が死に至った13の理由(13人の人々との関わり)であった。

 

激しく動揺するクレイ。

なぜなら彼は密かにハンナに惹かれていたが、それをはっきり打ち明けることができなかった。

そして、ある出来事がもしかしたら彼女を傷つけたのではないかと考えていたからだ・・・

 

しかもそのテープは、テープの中に登場している同級生たちの間ですでに回覧されており、クレイだけが一番最後であるという・・・

 

物語はクレイの視点を中心としながら進んでいく。

 

まるでビリヤード台に散らばったたくさんのボールたちの予測不能な動きのようである。ささいなボールの動きが次のボールに動きを与え、連鎖反応のように次第に複雑に加速しながら息詰まるような緊張を孕んでエンディングに突き進んでいく。

 

テープの登場人物は、

 

クレイ(優秀な生徒であるが、女子には奥手でハンナとはお互い惹かれあっているのだが言い出すことができない。後に、彼はそのことを後悔することになる)

 

ジャステイン(バスケットボールのエースプレイヤーだが、家庭は貧困で母親からのネグレクトと、ヒモ男からの暴力で悩んでいる)

 

コートニー(優等生だが、自分がレズビアンであるということを密かに隠している)

 

アレックス(ハンナと同じく転校生であり、孤独を感じている。家庭では権威主義的な父親と兄の下で自分の存在感に悩んでいる)

 

などなど。

 

ハンナを遠ざけていく同級生達もそれぞれに思春期特有の悩みを抱えている。

人の助けを求めていながらも、それが素直にできない苦しみを共有している。

 

そして、その絶望的な苦しさゆえに結果的に人を傷つけてしまう。

 

この物語では、結局ハンナは破局的な結末を迎えてしまうのであるが、ハンナ一人がいじめの被害者ではない。

加害者も同時に被害者であるということを納得させられてしまうストーリー構成となっている。

  
障害者差別と当事者問題の研究でたくさんの発信をしている小児科医の熊谷晋一郎さんは、「自立とは依存できることである」と述べている。
 

思春期とは自立の時期であるとよく言われる。

何事も今後社会に出ていく準備として、自分の力で解決して、頑張ることが必要であると。

(逆を言えばそれができない人間は社会に出る資格がない、未熟であると決めつけられる)

 

しかし、思春期に出来する悩みは一人で抱え込むにはあまりにも大きくて、重い。

多くの人はそれとなんとか折り合いをつけてやっているように見えるが、それはひとまず問題を棚上げにしていることも多い。

 

棚上げにできないときに、自殺を含めた様々な問題行動をとるのだ。「症候」と呼んでもいい。

 

結局この作品のハンナはその機会はたくさんありながら、誰にも相談ができないままに死んでいった。

彼女の「声」に向き合う人に巡り合えなかったという不幸もある。

でも、もっと「依存」するべきだったのだ。

 

依存は悪いことではない。依存は助けを求めることであるからだ。

 

これは障害者、思春期の人に関わらず、社会人として生活している人にも言えることである。

もっと助けてもらってもいいのだ。







 

2017-10-09 10:19:01

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「中動態の世界」國分功一郎

今年読んだ中では特に素晴らしいと感じた本でした。

臨床に向き合っているものとしては、深く考えさせられる記述が多くありました。

 

自分として最も興味深かったのは。展開される自由意志に関する部分でした。自由意志の議論としては哲学史上ではスピノザが有名ですが、哲学者の國分さんはアリストテレスからハンナ・アレントの議論からハイデガーの意思論を俯瞰し、スピノザの意思に関する考え方へと考察を進めていきます。西洋の哲学のあり方を決定づけることになった能動態、受動態という文法。そして現在では忘れ去られていた中動態と関連を解き明かしていくのです。

 

意思という言葉は実は臨床ではよく耳にすることが多いのです。

「こんな状態になったのは、自分の意思が弱い」 

「自分の意思で酒はいつでも止めることができる」

 

とかですね。

 

意思は常に自分から発して、自身の行動の原理と考えられています。

しかし、本当に意思などというものが存在するのか。

 

「意思」も「責任」もその起源は能動対受動という近代的人間の思考を決定づける文法構造によって作り出された一つの効果にしか過ぎないのではないかという主張にはかなりの衝撃を受けました。

 

それでは「主体」や「自意識」も当然単なる効果であろうと考えられます(國分さんの主張は流行りになったポスト構造主義の主張とは全く違っているのですが)。

 

この考え方を踏まえれば、精神医学の治療は単に精神的に病んだ主体を「治療する(される)」などという単純なものではなく、医師としての私が患者さんと出会うことによっていかなる変化をお互いにもたらすのかということにまで想像は発展していきます。

 

次回の著書が大変楽しみな方です。


 

2017-10-01 16:44:43

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夏

夏

2017-08-30 19:10:00

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